■「赤城石神」とよばれた櫃石
赤城神社は神体の赤城山を背にし、南麓の三夜沢
に鎮座する。上毛三山の一つとして知られる
が、赤城山という山があるわけではなく、黒檜山
(1828メートル)を主峰として、駒ケ岳、荒山
などからなる外輪山を称して赤城山とよんでいる。
山上には、火口湖の大沼 ・小沼のが存在し、かたわ
らに中央火口丘の地蔵岳(1674メートル)が
そびえている。最高峰の黒檜山は、雷雲のおこる
峰であり、大沼・小沼は水源の神とされた。こう
した水神にちなむ信仰が、赤城神社の始まりであ
ったと思われる。
(『磐座百選』から一部抜粋)
■岩窟に本殿を組み込まれた御姿岩
榛名神社の本殿は、神体石である御姿岩窟に組み込
まれ、岩窟内に内陣がおかれている。
本殿に接続して幣殿・間殿・拝殿が連なる権現造
りで、建物全体にみごとな彫刻が施されている。
かつては拝殿のみで本殿がなく、直接、御姿岩を
拝したというが、内陣がある洞窟の深さはわから
ないとされ「ご神体は三重の鉄の扉の奥にある」
と伝わる。御姿岩とよばれるとおり人が立っている
ようにも見えるし、巨大な男根にも見えてくる。
よく見ると人の首にあたる部分に御幣が立てられて
いる。首の部分まで八〇メートルほどだという。
春の大祭に先立つ五月一日早朝に、「御嶽祭」
という神事が行われる。御姿岩の御幣を立て替え
る神事で、神職のみで行われる「秘儀」という。
そのため、残された記録はほとんどないが1942年に、
社司・一宮昌輔が提出した「特殊神事報告書」が、
群馬県教育委員会の『榛名神社調査報告書』に収録
されている。
(『磐座百選』より一部抜粋)
■ハコソ神の降臨を願い、祈った影向岩
初めて「のこぎり」のような妙義山を眺めたと
き、奇峰がつらなる山容が信仰の始まりだったの
ではないか、というのが第一印象だった。遠くか
らでも「それ」とわかる山容をしているからだ。
ただ、妙義という山があるのではなく、白雲山・
金洞山・金鶏山の三山を称して妙義山とよんでい
る。 上毛三山 の一つとして知られるが、古代、
妙義という地名や神社名は見当たらず、「神名
帳」にも載っていない。妙義の神が文献に登場す
るのは中世後期からだという。それまでは「波己曾
の神」とよばれていた地主神だった。
ハコソ(波己曾)は、イワコソ(岩社)の意と
され、奇峰であり、岩山でもある白雲山を神と崇
め、岩の神・イワコソを祭祀したのが妙義信仰の
始まりと伝わる。
(『磐座百選』より一部抜粋)